日本企業に就職した時、会議で声を上げてしまった事。
どうやら「会議」「打ち合わせ」「すり合わせ」で違うらしい。
あとで上司に「会議」では意見を言わず、聞くだけだと教わりました
日本社会に長い間暮らしてきた人間として強く思うのは、「自己を客観視しない価値観」が問題だと思う。失業したり、なにかひどい目にあったら、それが直接「自分自身の価値の喪失」と捉える文化がこの国にはある。仕事や学校、そのようなものに自己を同化させて、そこでの評価が絶対となっている。
自殺率が比較的低い国(アルゼンチン、英国、スペインなど)の人たちと話していて思うのは、彼らにはそのような価値観が全く理解出来ないだろうなということだ。彼らの世界は自分中心で作られており、どんなことがあってもそのせいで「自分自身の価値自体が喪失」したとまでは考えない。平たく言えば、だいたい他人か社会のせいにして、「おれ、悪くないから」で済ます。
またそれに付随することとして、日本人と議論して相手の意見に異を唱えると、とかく彼らは感情的になる。あたかも自分の存在が否定されたかのように感じるらしい。外国人との議論では前提となるのは「各自が違う意見を持っていることが当たり前」ということだ。だから、反対意見を言ったところでそこまで感情的にこじれることはない。
上手くいっているとき、たいていの人は「何となく」振る舞う。上手くいっているときには、些細な瑕疵は「結果オーライ」で容認されてしまうから、振る舞いにはある程度の幅が得られる。上手くいっている人は、だから自由に好きなように、「何となく」振る舞って、結果として上手くいく。教科書を何冊読んだところで、「何となく」は、変わらない。教科書に書いてあることは、たしかによくまとまっているのかもしれないけれど、それはその人の振る舞いを言語化したものとは違うから。
何となく上手くいく体験を重ねてきた人が、あるとき高重圧の環境に晒されると、「何となく」を忘れてしまう。研修医が離島に放り出されたときとか、しばしばこんな「何となくの忘却」を体験するんだけれど、その時に教科書を開いたところで、そこに書かれていることは、普段の自分とは全然違ったやりかただから、いきなりそれに従ったところで、上手くいくわけがない。
重圧の高いところで上手くやるためには、だから動作から「何となく」を追放する、上手くいっているときの自分の動作を言語化ないといけない。
イノベーションとは
「今にない、新しいものを作ること」ではなく、
「未来にある普通のものを作ること」である。
わからないつながりがあっても「思考停止」にはならず、
諦めずにずっと探索し続けるからです。
寝る前に、次の日にやらなければいけないことを書きとめておく
- 寝る前に気になることを書いてすっきり眠る
分解することそのものを、タスクにしてはどうだろうか?
だと物事がスムーズに進んで、達成感もえられ、習慣となる。
