長編小説はべつに下手だっていい。とにかく心に食い込めばいいんです。ひだに爪を立てて、どっかに位置を定めて残っちゃえばいいんです。
それさえできれば、後の細かいところはなんとでもなる。
逆に言えば、長編小説っていうのは、あんまりうまく書きすぎると息が詰まっちゃうんです。下手な所が残ってないと作品がうまく動かない。だからもし批評家が長編小説のある部分を抜粋して「ほら見ろ、この作家はこんなに下手だ」と言ったとしたら、それはいささかフェアじゃないということになるかも知れません。
洋服の着こなしと同じで、どっか一つぽっと抜けてないと、隙が無くて冷たくなりすぎる。
ところが短編小説はまずうまくかけていないことにはお話しになりません。
うまく書けてない短編小説なんて、ストライク・ゾーンでの細かいボールの出し入れができない中継ぎピッチャーみたいなものです。
ストライクが思うように入らないことには、ピッチングの組み立てが出来ない。
そうなるとゲームにもならない。でも長編小説の場合は、先発完投だから、全体を貫く勢いが問題になってきます。多少コントロールが定まらなくても、相手のバッターを呑んで、びゅんびゅんバットを振らせればいいわけです。そうすれば三振がとれる。そうすればゲームになる。
— (村上春樹インタビュー集1997-2009『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』P399より) (via breathnoir)
(via umi82mizuiro)